川根本町民インタビュー

【川根本町民インタビュー vol.14】 Shyan Kishore(バンスリ奏者)

「音楽のつながりやひらめきが、これまでずっと僕の道しるべなんです」

 

イングランド・ケンブリッジシャー出身、2021年に移住

 

Shyan Kishoreさん(以下、シャイアンさん)はバンスリ奏者である。かつては世界中で演奏をしてまわり、いまはここ川根本町で暮らしている。じつに物腰のやわらかい方で、その語り口は―誰しもこういう経験の一つや二つはあると思うのだけど―川べりに座ってただ何もしないでいた時間を思いださせる。滔々と流れていく水、ときおり渦を巻いたり速さを増したりする水、ちらりと跳ねかえる陽の光。私たちに見えるのは水面だけ、でもその下には地の溝を埋めて行きかう巨大な水のうねりが感じられる。そこには一定の音調があったが、シャイアンさんの声には似たものがある。

 

さて、語りの川べりに行っていただく前に、いくつかの基本的な情報をお伝えしなければならないだろう。まずバンスリとは何か。北インド古典音楽の主要な楽器の一つで、竹でつくられた横笛を指す。サンスクリット語でbans (बाँस) は竹、sur (सुर)はメロディーを意味する。ヒンドゥー教にそれなりに関心がある方なら、ヴィシュヌ神の化身クリシュナ神がいわゆるアトリビュートとしてその横笛を携帯している図像を見たことがあるかもしれない。ヒマラヤ山麓の竹からつくられたこの笛は、吹きこまれた息を、低く深く、湧き上がってくるような音へと変えることができる。

 

一度でも聴けばすぐに気づかざるを得ないが、北インド古典音楽は私たち現代の日本人が一般に親しんでいる音楽とはいろいろと異なっている。まず西洋音楽のような、複数の音の和合、つまりハーモニーの概念がない。これは日本の雅楽や能楽に近い。メロディーの流れが曲の基調を成しているのだ。そしてさらなる大きな違いはインド古典音楽がほぼ即興の音楽であるということにある。このあたりはジャズに近いかもしれない。究極的なビジョンには梵我一如、つまり大宇宙と個の合一がある。スマホでながら聴きしたり、カラオケで熱唱するような音楽とはまた別個のものであると考えた方がいいかもしれない。

 

28年前、当時イギリスに住んでいたシャイアンさんはインド音楽のレコードを聴き、バンスリに出会った。3週間後にインドへ旅立ち、3か月間インドでバンスリを習った。師として仰いだのは、インド古典音楽界の巨匠 Pt.ハリプラサッド・チャウラシアだった。その後も修行を重ね、やがてシャイアンさんは世界中を旅して演奏活動をするようになった。そうやって26年近くが経った。自身のアルバムはすでに30以上リリースした。すでに世界的にひとかどのバンスリ奏者だった。ところが。いま彼は日本の片田舎、川根本町に居を構え、暮らしている。いったい何があったのだろう。いったい彼は何を考えているのだろう。

 

なお今回のインタビューは、シャイアンさんの語りを尊重したいと考えたこともあり、やや長くなっている。内容は大きく二つに分かれており、おおまかに、彼が川根に来た経緯は第一部を、川根における彼の暮らしぶりは第二部となっている。ちなみに日本語の記事の後ろには英語のバージョンもある。お好きな仕方で、シャイアンさんの物語を読んでいただければと思う。

 

 

グアテマラで開き川根で閉じる物語

 

― シャイアンさんが川根で暮らしはじめるまでのことを聞かせてください。

 

長い長い話なんです。

 

2012年、その年はマヤ暦が終わりを迎えると言われていた年で、僕はグアテマラにいました。そこでミヤとミキという夫婦に出会います。

 

僕たちが滞在していたのはアティトラン湖というものすごく神秘的な場所で、シャーマニズムやスピリチュアルな活動で有名なところです。なんというか、精神のパワーに満ちているんです。僕たちは一緒にいろいろな儀式や活動を見てまわりました。

 

マヤ暦の最後の日、僕たちは一睡もせず、大地の端から太陽が昇るのを眺めました。眼前には巨大な湖が広がっていました。

 

誰もがみな幸せな気分でした。だって太陽が昇ったんです。今日は予言されていた世界の終わりではなかったんです。それはまるで新たな生、新たな時代、新たな始まりのようでした。新たな友情が花開くのに、これ以上はないというくらい素敵な時間でした。

 

ミヤとミキは僕に夢を語ってくれました。日本でいい場所を見つけてゲストハウスをつくるんだ、と。それがいまの「あさゐ」です。(町内にある一日一組限定の農家民宿さん。ミヤとミキさんはそちらのオーナーご夫婦)


 

それから約四年が経ったころ、僕は日本に行きました。そしてミヤとミキから、自分たちのところに来て演奏してくれないかと誘われます。僕は二人の家に行き、演奏をしました。でもゲストハウスをつくるのが二人の夢なんだということを僕は忘れていました。演奏の半ばで、僕は突然はっと気づきます。あぁ、ここは二人の夢なんだ。僕はいま二人が実現させた夢の内側で演奏をしているんだ。

 

さらに数年が経ち、僕は日本をまた訪れ、あるレストランで演奏をすることになりました。僕はその店がどこにあるのかよく分かっていませんでしたが、友人に連れられるがままにして、日暮れ頃にたどりつきました。そこはなんと「風工房」(町内にあるカフェ・レストラン。いまは「stories」に名前を変えて営業中)だったんです。そして思いがけなくミヤとミキがやってきました。僕は言いました。「君たち、ここで何しているんだい?」すると彼らは言いました。「何って、僕たちはこの町に住んでいるんだよ。以前君もうちに演奏しに来てくれたじゃないか」「おっと、自分がいまどこにいるのかすら分かっていなかったよ」

 

僕は計画的に行動していたんじゃないんです。物事の自然な流れに身を委ねていたんです。音楽のつながりやひらめきが、これまでずっと、僕の道しるべなんです。いずれにしても、そうやって僕は風工房を訪れることになります。

 

演奏後にミヤが言いました。「ねえ、見て。あの夫婦のお客さん、私たちの素敵な友だちなんだけど、君の音楽について訊きたいことがあるんだって。二人はとっても好奇心が強いんだよ」

 

僕が知るかぎり、日本ではたいてい、音楽の演奏を聴くときに、表現された感情をくみとったり、振動する音の波によって体の内側がグルンとかき回される経験を純粋に受けいれることはあまりありません。創造的な経験を頭で理解したがるところがあります。だからアーティストたちは自らのアートについて細かく説明し、たくさんの質問に答えることが、どうやら重要らしいんです。


 

インド音楽についてたくさん質問したがる人がいると僕はちょっと憂鬱な気分になります。だって実際のところ僕もいまだにインド古典音楽を理解しきれていませんし、インド人でさえ本当の意味では理解することは難しいのだから。それはとてもつかみどころがないんです。たとえ勇気をもって踏み出したところで、大海原に行きつくのがおち。幾筋もの川はあるんだけど、それらはやがては無限の可能性の大海原に流れこみ消えてしまう。インド音楽というのはそういうものなんです。

 

それはもしかしたらインド音楽がヒンドゥー教を反映しているからかもしれない。僕の音楽スタイルはヒンドゥスターニー音楽(北インドのイスラム王朝の宮廷で発展した北インド古典音楽)です。ヒンドゥー教もまた同様のつかみどころのなさがあり、多層的な潜在性を秘めています。正しく定義したりカテゴライズするのは不可能です。たいていインドのアートには実に魔術的で魅惑的なところがあるものです。インドのアートと精神性はひとつの枠に押しこむことのできるような代物ではないようなんです。

 

話を元に戻しますね。そういうわけで普段なら僕はインド古典音楽の何たるかを説明しようと試みるのは好きではないんですが、このときは僕の直観が強く訴えかけ、とにかくいまこの場所に身を沈めてみるよう導かれた気がしました。ひょっとしたら、何を訊かれるかも何を答えるかも重要じゃなくて、ただ互いに通じ合ってその場を分かち合うことで素敵な心地よいつながりが生まれるのかもしれない。日本人が質問したり好奇心を示したりするのは、純粋に一体感を感じて、そのような意味での空気の震えを味わうための口実なのかもしれない。そう思って、僕はその場を信じて流れに身を任せてみたのです。

 

その夫婦はとてもいい質問をし、僕の答えにとても興味をもって驚いてくれました。インド音楽のコンセプトの96%は即興にあるという僕の考えについてはとりわけそうでした。

 

即興という概念は日本にもあると思うけど、僕から言わせてもらえば、おそらくこの国では即興演奏は最も馴染みのない音楽へのアプローチです。すでに作曲されたものを丹念に練習し演奏するのであって、いま・ここにある状況と結びついた感情の赴くままに、まだ見たことのない、生き生きとした何かを創造するわけではないんです。でもとにかく、このご夫婦はとても素敵で、とても喜んでくれました。


 

それから数年が経ち、ちょうどコロナウイルスが流行りはじめた頃のことでした。僕はタイにいたんですが、日本行きのフライトが中止になってしまいました。そんなことはこれまで一度もなかったのに。僕はいくらか困惑し、考えました。どうしたらいいだろうか?タイで旅を続けてどこか別の行き先がひらめくまで待つべきだろうか? そうやっていくつかの可能性を検討していたわけですが、第一候補として日本がずっと浮かんでいて、だから僕は日本に行かなければならないという運命を感じたんです。僕は別のフライトを予約し、無事日本にやってきます。

 

僕はいくつかの土地に住んでいる日本の友だちに連絡を取り、賃貸あるいは購入できる家を知らないか尋ねました。もっとも、僕たちには家を買えるほどのお金なんてなかったので、購入はまったく現実的ではなかったけど。

 

そうしたら、ミヤとミキが、ひょっとしてグアテマラで僕が二人に親身になり、旅行者のコミュニティや現地の人たち、諸々の出来事に入りこんでいく背中をいくらか後押ししたからでしょうか、僕に好意を抱き、助けになりたいと思ってくれていました。これこそまさに僕がいつも言うところの「循環する自然」のことなんです。インドでは「カルマ」、日本では「ご縁」と呼ばれていますね。

 

二人は言いました。「僕たちの住む町においでよ。家探すの手伝うよ」僕は本当に本当に嬉しくて、心が躍りました。これこそ僕の道しるべだ、って。そして僕たちは川根にやってきます。二人はとても親切にしてくれました。僕たちは二人に付いて、あるお宅に到着しました。そこに僕たちの力になってくれるであろう人が住んでいるというのです。

 

そして扉が開き、なんとそこにいたのは風工房のコンサートで僕に質問をしてくれたご夫婦だったのです。二人は開口一番、「96パーセント即興!!」と叫びました。二人は僕の姿を見てたいへん驚いていました。「あなたが親身に質問に答えてくれて私たちは嬉しかったんです、だから今度は私たちの番です。ええ、いい場所がありますよ、付いていらっしゃい」、そう言いました。二人はある家の管理人だったんです。


 

公にはしていなかった物件だったんですが、どういうわけか僕たちのために、彼らはその家を案内したいと言ってくれました。ここから得られる教訓は、あなたが自らの時間を差し出せば、人はそのような贈物に感謝し、お返しにあなたにとって価値のあるだろうことを喜んで差し出してくれる、ということです。だって時間を差し出すことはあなた自身を差し出すことだからです。とても尊いことなのです。これが一連の家探しから僕が学んだことです。

 

彼らは言いました。「この家はタダで差し上げてもよいですよ。この酷い状態では、誰も住みたがらないと思いますから」まったく、こんな展開が日本で起こるだなんて。家をタダでもらえるだなんて。

 

想像はどんどん膨らんでいきました。この家に住むことになったら何をする?家を直すのは大変だけどなかなか楽しそうだ。よし、ここに決めた。何が起こるか見てみようじゃないか。そういうことで、二人のご夫婦は東京に住むオーナーに連絡をしてくれました。

 

そして僕の誕生日のことです。僕たちは愛知にいて、一本の電話を受けました。あの家のオーナーでした。まだ直接会ったこともなかったのですが、家をあげますとのことでした。僕の誕生日に、ですよ。その日、僕は生まれ変わったんです。

 

いずれにしても、僕が思うに家を手にする時期が来ていたんでしょう。長いこと旅をしながらミュージシャンとして懸命にやってきましたが、旅にはかなり疲れてきていたんです、とりわけ選択肢やら人脈やらを築きあげるばかりの堂々巡りの日々に。とにかく一か所に留まることが必要でした。家が必要でした。そうしなければ、僕はいまでも旅し続けなければならなかった。だからそのときが潮時だったんでしょう。


 

常識的には、このサービスと引き換えにこのお金を得たとか、この商品と引き換えにこのお金を得た、という考え方をします。ひとつのエネルギーに別のひとつのエネルギーが対応しているのだと。しかし僕の感覚では、自然の円環というものははるかにもっと深遠な仕方で作用しているし、時間とは幻なのです。この場所であるエネルギーを差し出すと、それはさざ波のように広がり、異なる時間に、異なる状況で、異なる形として返ってくるのです。なぜ僕はこれを手にしたのだろう?あぁ、ひょっとして十年前にあれをしたからかもしれない、みたいに。

 

コミュニティの中でエネルギーがどのように流れているかはいまやめったに理解できることではないでしょう。でも限定された人間の精神の過程から離れて、自然をありのままに受け入れて物事を見れば、魔法はいたるところで経験できるのです。

 

だからこの家がやってきたことに僕は驚きはしませんでした。僕には分かったんです。とにかく、僕はたっぷりのエネルギーをこの現実に差し出してきた、だから僕たちはこの家を手に入れたのだし、それにふさわしいのだと。

 

それから僕たちは家の作業にとりかかりました。骨の折れる仕事でしたが、それに見合う収穫もありました。かつてのオーナーたちがみな深い精神性をもった人たちであることに気づいたんです。以前のオーナーはキリスト教の神父様でした。その人が東京に引っ越した後にはもうひとりキリスト教徒の女性が住んでいました。彼女の前には尼さんが住んでいて、その尼さんの前にはお坊さんが住んでおり、彼がこの家を建てたんです。僕たちが来る前に、四人もの精神世界の豊かな人たちが住んでいたんです。僕は自分たちがそのようなタイプなのか分からないけど、音楽それ自体はとても精神的なものですよね。

 

この家には「夢の家」という名前があります。かつて住んでいた尼さんが、この家を子供や障がいのある人たちが集まれる場所として開いていたんです。僕たちが名付けたわけではないけど、じつにぴったりの名前です。いずれにしても、かつてそのような人たちが暮らしていた家に僕たちは運命づけられていて、素晴らしいことにいまやここは僕たちの家となったのです。


 

シャイアンさんの川根暮らし

 

― この家に住むようになってからの暮らしについて聞かせてください。

 

家を直すのは、時間も労力もたくさんかかるけど、楽しみのひとつです。あとはオンラインで販売するアルバムをつくっていることが多いかな。世界中のとっても素敵なミュージシャンたちとコラボして、音源をシェアしたり一緒に企画を練ったりするんです。

 

地域の人たちのお手伝いにいくこともあります。ときどきご近所さんのお茶畑にお邪魔させてもらいます。その方は日本で最優秀の茶農家に何回かノミネートされたこともあるんです。そうすることで、いくらかお金も稼げるし、地域の役に立っていると感じることもできます。

 

妻のマーシャと一緒に音楽とダンスのイベントを開催したりすることもあります。川根に縁のあるミュージシャンや語り部、飲食店や造形作家にも出てもらうこともあります。そうすれば、地域のためになるだろうし、川根に住んでいる人たちの間に自分たちも何か生み出してみたいという風を吹かせることができるかもしれない。


 

僕の感覚だけど、ワールドミュージックというのは日本では他の国よりも人気がありません。受け入れてくれる会場は多くないです。大きなコンサートホールはたいていクラシックか、歌舞伎とかの日本の伝統舞踊ばかり。企画や運営を請けてくれる人たちもいません。自分たちですべて手配しないといけないんです。だから僕たちがライブをしようと思ったらたいていはヨガスタジオかお寺で開くことになります。

 

そういう場所で演奏することは素晴らしいことです。でも他の国ならワールドミュージックやダンスにはとても価値があって、スタッフも会場も選択枠がいくらでもあります。フライト代、宿泊費、食費、何から何まで、主催者が持ってくれることも少なくありません。日本ではそんな話を聞いたことがない。演奏を何年続けていたところで、ここでは誰ひとりとして僕のことを知らないようなんです。

 

以前東京でライブを企画したことがあります。世界でも有数の大都市、何百万もの人が住んでいる街、東京。ところが人脈をつくるだけで5年かかりました。僕たちは最高のプロモーションを考え、あらゆる手段で招待をかけて回りました。そして数か月後の初演。会場は、街のはずれの田舎のどまんなかにある誰かの家の小さな一室、観客は五人でした。次なる会場は、東京にある何かしらの店の裏手の汚くて埃っぽくて真っ暗な倉庫でした。観客はまた五人だけ。まるで奇跡です。これじゃあまるでレコードブック級です。史上最も成功しなかった、最も人気のなかったミュージシャン!もちろんジョークですが、あれは悲しい話でした。


 

ワールドミュージックやワールドアートへの価値観に関して言えば、僕は日本人にはとてもがっかりさせられました。音楽は趣味の一つなんです。お金を払う客が神さまで、ミュージシャンはしもべなんです。

 

他の国、たとえばインドではその逆です。ミュージシャンこそ神さまへの玄関口なんです。だからミュージシャンはステージに上がるんです。彼らが常にマットの上に座るのは、それがエネルギーの器を表しているからです。いわば空飛ぶ絨毯なんです。ミュージシャンに足の裏を向けることもありません。足の魂は地面に触れているので、それは穢れていて、意識の最下層に位置するのだから。観客が敬いの念を示す仕方も様々です。ミュージシャンの周りを囲んで祝福のためにひれ伏すこともありますが、それは音楽というものが最も高次の精神的な体験だと考えられているからです。ヨガの理論では、音とは究極の真理に到達するための最後の扉です。だからミュージシャンはインドなどの国ではたいへんに尊敬されているんです。

 

日本では事情が違います。僕たちのようなミュージシャンが育ち、キャリアを咲かせるには理想の場所ではありません。しかしどういうわけか、僕の音楽は僕を日本に導いたのです。そこには音楽だけでなく、日本に居心地の良さを覚える他の理由もありますけどね。そういうわけで僕はここにいるわけです。ここが僕の現在地なのです。

 

それに、他の地域と比べてみたらということだけど、川根本町に住む人たちの物の見方は海外の人たちのそれに近しいところがあると言ってもいいかもしれません。みんな好奇心が強いです。海外から川根本町に移住してきた人もいまやかなりたくさんいるから、その積極的な態度が地元の人たちを刺激して、肩の力を抜いたり開放的になったりすることに一役買っているのかもしれません。つまりこの町の人たちは日本の他の地域よりも、ワールドミュージックやアートを受け入れる心の広がりを持つようになってきていると僕は思います。

 

最初からそのことに気づいていたわけではありません。僕たちはただミヤとミキとの繋がりに自然と導かれてきただけです。二人が僕たちに川根を真剣に勧めてくれたのは、二人もまたかつて旅人で、見たことのない文化や音楽や芸術に惹かれていて、そして川根で暮らすことを心地よく感じていたからなんでしょうね。


 

今ではこの町で僕もアフリカンパーカッションのワークショップを開いているので、これからも続けて、よりたくさんの町の人たちに参加して楽しんでほしいです。あとはバンスリを演奏したいと思ってくれる生徒がもっと増えたらなあ。すでに何人かの熱心な生徒がいますが、まだまだ歓迎です。コンサートも続けていきたい。じつは僕たち、ここ3年毎年ハウスコンサートを開いています。コミュニティセンターからたくさん椅子を借りて、うちの庭に並べるんです。毎回70人くらいの人たちが、町内から、あるいは町外からさえも来てくれます。そして僕たちはこの家という舞台で踊り、演奏をするんです。

 

「そもそもなぜあなたは川根本町にやってきたのか?」というあなたの質問に本当の意味で答えることはもしかしたら出来ないかもしれません、だけどこの庭に集まってくれた人たちの姿を見て、人々のつながりを感じて、目の前の人たちにとって価値のある何かを差し出している自分たちに実感が湧いて初めて、僕は悟るんです。これこそ僕がここにやってきた理由なんだ!って。こういうことは時が解決してくれるものなんですね。

 

ひとつ根本にあるのは、夢を追いかけるなんて無理だと思い込んでいる人たちに向けて証明したいという想いです。違う、あなたはできる、って。あなたはありのままの自分になれる。あなた自身として発揮できる資質を見つけ出すことができる。その資質から逃げずに信じつづければ、あなたはその道で秀でることができる。あなたは幸せになれる。

 

これこそが僕の伝えたいことです。説いたり話したりすることによってではなく、ただひとつの見本であることによって。あなたはあなた自身になれる、だって僕が僕自身だから。あなたは幸せになれる、だって僕が幸せだから。あなたはあなた自身の声、表現、社会とつながる手段を見つけることができる、だって僕は見つけたから。


 

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Rasa Masala

 シャイアンさんは妻のマーシャさんとともに結成したグループで、インドやアフリカに由来する音楽やダンスのパフォーマンスやレクチャーを行っています

About Shyan Kishore

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(インタビュー・文・写真:サエキ)



 

― English version ―

 

A Story from Guatemala to Kawane

 

― The thing what I want to know at first is, what brought you here?

 

It’s a long, long story.

 

In the year 2012 at the end of the Mayan Calendar, I was in Guatemala and I met Miya and Miki, my friends who run the guest house called açai which is in the same village, Kawane Honcho. 

 

We were staying at Atitlan Lake which happened to be a very magical place renowned for having a lot of Shamanism and spiritual activities. It is a spiritually vibrant place you could say. So together we explored the area and went to some ceremonies and other such activities.

 

On the day at the end of the Mayan calendar, we stayed up and watched the sun come up at the end of the land in one area looking over a big lake. 

 

Everyone was very happy. The sun came up today and it wasn't the end of the world as had been predicted. And so it was like a new birth, a new era, a new start. And so it was a very great time for new friendships to blossom.

 

Miya and Miki  told me of their dream which was to go back to Japan and find some area where they could create a guest house, which is now açai (a farmhouse for only one group per a day in Kawane Honcho).




So about four years later I went to Japan. And then Miya and Miki  invited me to come and play music in their place. So I went to their place and I was playing music, but I forgot that they said their dream was to make a guesthouse. While playing, I suddenly realized, oh, this is their dream. I am playing music inside their dream that they've manifested into reality.

 

Then a few years later I was back in Japan and I was invited to perform in a restaurant and I didn't know where it was. I was just following some friends and we ended up at the event space in the evening. It happened to be Kaze Koubou (a cafe & restaurant in Kawane Honcho). And then suddenly Miya and Miki came and I said, “what are you guys doing here?” And they said, “this is our area where we live and we remember you came here to perform in our place before.” “I'm sorry I didn't even know where I was,” I replied. 

 

I wasn't thinking.  I let things happen very naturally. Musical connections and inspiration have been my guide for many,  many years. Anyway, so I ended up in Kaze Koubou.

 

And Miya said, “Hey, look, this couple in the audience are very nice friends of ours and they have some questions for you about the music. They're very curious.”

 

Usually in Japan I find that people are not responding to music performances by feeling the emotions expressed, and by simply appreciating the transformative effect experienced due to vibrational influence. They tend to want to understand the creative experience with their mind. And so it seems important that artists give long speeches about their art, and answer a number of questions.


 

I usually get a bit frustrated with people who want to ask so many questions about the music, because I still don't actually understand Indian classical music, and even Indian people don't really understand it fully. It's very flexible. If you venture into it, you end up going into an ocean. There's like many rivers, but the rivers just end up disappearing into an ocean of endless possibilities. Indian music is very much like that.

 

And maybe it's because Indian music is reflective of Hinduism. My style of music is Hindustani music. Hinduism also seems to have this kind of flexibility and multi layered kind of potential. You can't really define or categorize. That's really something I find quite magical and fascinating about India's art in general. India's art and spiritual attitude seems to be something you can't encapsulate into one category.

 

Let's get back to the story. So usually I get tired of attempting to explain what Indian Classical music is, but on this occasion my intuition came really strong and I felt guided to just sink into presence. Maybe the questions aren't important. Maybe the answers aren't important, but just being present with each other will allow a nice comfortable connection to happen. Perhaps Japanese people ask questions and demonstrate curiosity in this manner as an excuse to simply feel present with others and enjoy connecting with the same atmospheric vibration. So I trusted the situation and I went with the flow. 

 

They asked some very nice questions and they were very interested and very excited with my answers. Especially with the concept of Indian music, in my opinion, being 96 percent improvisation.

 

I think the concept of improvisation exists in Japan, but I'd say probably in this country it's the least popular approach to music. People here tend to practice and  play something in earnest that somebody else has already composed, rather than creating something new and fresh according to their feelings in relation to the present situation here and now. But anyway, this couple were very nice and very happy. 


 

Then some years later,  just at the time when Coronavirus was starting, I was in Thailand but my flight to Japan got canceled. It's the first time that's ever happened to me. So I was kind of confused and so asked myself “What should I do? Should I just continue traveling in Thailand and wait until I have some other inspiration for somewhere else to go?” But then when I explored my possibilities, Japan kept on coming up as the best option, and so I felt a calling that I have to go to Japan. So I booked another flight and I was successful.

 

I contacted some friends in a few different areas in Japan and asked if they knew of any houses that we can rent or buy. However the second option wasn't so realistic because we didn't have so much money to be able to buy a house.

 

Then, maybe because I was kind to Miya and Miki in Guatemala and I kind of encouraged them to get involved in the community of travelers, local people and things that were happening in Guatemala that I was enjoying, they felt some gratitude towards me and felt that they wanted to give something in return. I appreciate this kind of experience as, what I like to call ‘the circle nature’. It's called ‘Karma’ in India or ‘Goen’ in Japan.

 

They said, “yeah, come to our area and we'll help you to find a place.” And I was really, really happy and excited and I thought this is my sign.  So we came here and they were really kind. Then eventually we followed them to one particular house to meet some friends of theirs that they felt could help.

 

And when these friends opened the door, it happened to be the people who I had answered the questions for in the Kaze Koubou concert. And so they got very excited as soon as they saw me. The first thing they said was “kyujyuroku percent Sokkyo!!” And then they said, “we're so happy because you were so kind, and so we want to be kind to you. So yes, we know a place. Come follow us.” They happened to be the caretakers of a house. 


 

They had kept it a secret, but for some reason for us, they wanted to show this house. The lesson for me regarding this is that, if you just simply give your time, people often appreciate such a gift so much and are happy to give what may be of value to you in return. Because giving your time is giving yourself. It's a very precious thing. This was for me the lesson of this whole process of discovering and receiving this house. 

 

So they said that this house may be free because it is in such terrible condition. I think that nobody would actually want to live in this house. “Really, does this happen in Japan? Is it possible to be given a house?” I questioned. 

 

We started to play with the idea of, “what if this became our house?” “ It's a lot of work but maybe it could look pretty nice.” “ Yeah, why not? Let's see what happens.” So this couple contacted the owner who lives in Tokyo.

 

And then on the day of my birthday, we were in Aichi and there was a phone call. It was the house owner. Even if he hadn't met us, he said that we can have the house. It was interesting that it was confirmed on my birthday. My reborn day. 

 

Anyway, I felt like it was time to have a house. I've been traveling for so many years and working so hard with my musical career, but I was getting quite tired of traveling, especially around the same circuits trying to build up my options, connections, etc. for my music. I need to just stay in one place. I felt that I needed a house, otherwise I would have to still continue touring. So it felt like it was the right time.


 

Many people think that you give a service and you get a certain amount of  money, or you give a particular product and you get a certain amount of money. You give this much energy and you get this much energy. But I feel that ‘the circle of nature’ works in a much more mysterious way, and that time is an illusion. So sometimes you can give energy here and then it will ripple and it will come back in another time, in another situation, in another manifestation. “Why have I got this? Ah, it may be because I did this 10 years ago.” As an example.

 

I think it's very rare now that people can understand how the flow of energy in a community functions. When you look at things with more appreciation of nature, rather than with the  limited mental processes most humans function with these days, magic can be experienced everywhere.

 

So, it didn't surprise me that this house had come. I realized, “yes, in some way I have given a lot of energy into reality, so yes, we've got this house and deserve it.

 

And then, we started to do a lot of work on this house. It was very hard, but rewarding. We realized that the previous owners had all been spiritually motivated. The previous owner was a Christian Priest. There was also a Christian woman who was living here after he left to live in Tokyo. Before her, there was a Buddhist nun living here, and before the nun, there was a monk who made the house. So there had been four spiritually-focused people living in the house before we came. And I don't know if we're spiritually motivated, but music itself is very spiritual. 

 

This house is called “House of Dreams(Yume-no-Ie)”. This house was also a kind of children’s school which was run by the nun who lived here.  We didn’t name it, but it is a very appropriate name for the house. Anyway, we've connected with a house that has been a home for these kinds of people and now we are happy that it is our home.



 

Shyan’s Life in this Town

 

― Since you started to live in this house, how do you live in Kawane Honcho?

 

The way I enjoy spending my time is to reform my house. I give a lot of time and energy to that. I spend a lot of time also making albums which I sell online. I work in collaboration with very great musicians all around the world who record themselves in their studios in their countries. We share files online and together we create projects.



Sometimes, I do some other kinds of work helping people. I sometimes work on my neighbor’s tea farm. He lives down the road and a few times he’s been nominated as the number-one tea farmer in Japan. That way, I can make a little bit of money and also feel that I'm helping the community as well.



Masha, my wife and I  also organize cultural and art events in which we  perform music and dance. We also include other local musicians,  story tellers, caterers and craft makers so that we are helping to support the community and encourage the flow of creativity and inspiration amongst the people here.




I feel that in Japan, world music is not appreciated as much as it is in other countries. There's not so many venues for world music or dance performances. Big concert halls usually only welcome Western classical music performances or Japanese traditional performances such as kabuki. There is also not any world music, or dance organizers and promoters, or anything like this. So we have to do everything ourselves. So usually we have to take the option of performing in yoga studios or in temples.  

 

It's nice to perform in a temple or yoga studio, but the difference is that in other countries, world music and dance is considered to be of such value that there will be an abundance of promoters and organizers and various types of suitable venues to support it. There are usually many more possibilities to perform in very big venues with very professional sound and lighting engineers providing support. They will often also pay for our flights, pay for our accommodation, pay for our transport and food and all our other requirements. However, I've never had anybody offer to pay for my flight to come and perform in Japan. And even after all these years of performing, nobody here seems to know me. 

 

Once I tried to perform in Tokyo, one of the biggest cities in the world. Millions of people live there. However, it took me five years just to build up some connections. We made very nice promotional artistic presentations representing our concerts and we sent invites to all of our connections through a variety of social media channels. Our first performance after several months of promotion, which was in a little studio room in somebody’s house in the middle of the countryside on the outskirts of the city, only managed to attract five audience participants. The second performance took place in a dirty and dark storage room in the back of a shop in Tokyo city center. Also only five people came. It’s like a miracle. After such an experience I felt as though I could be in The world record book for the most unsuccessful and unpopular musician ever! Of course I'm joking, but it was a disaster. 


 

So regarding their sense of value towards world music and art, I admit that I have been very unimpressed by the attitude of Japanese people. Music is recognised only to be a hobby in Japan rather than a respectable profession. A paying audience participant is apparently considered as God. The service giver is below them and must act under pressure to give a satisfactory service.

 

It's the opposite in other countries such as India, where musicians are considered as a doorway to God. So the musicians are raised on a stage. They have to always have a mat to sit upon because it represents the containment of the energy created by the musicians. A kind of protection. It serves to symbolize a flying vehicle. Also nobody directs their feet towards the musicians because the soul of the foot is considered as dirty and represents the lowest part of consciousness. There's many different ways in which the audience will show a lot of respect. Sometimes, they will go around to each musician and bow down to their feet so as to receive a blessing because the music that the musician channels is considered to be the highest level of spiritual experience. In yogic science, sound is recognised as the last door to open to the ultimate truth of realization. So if you are a musician, you're very, very respected in a country such as India.

 

In Japan, that’s not the case. It’s not an ideal place for musicians like us to flourish. Our career potential is quite stunted in growth. But somehow, my musical experiences have connected in a flow which have guided me to Japan. And not just music but there are other reasons why I feel comfortable in the context of Japan. And so I am here. This is where I am. 

 

And by comparison, I would say that the attitude of the people who live in Kawane Honcho is more similar to people of other countries towards world art. People seem to have a little bit more curiosity. I think there are quite a few people now who have moved into the area from other countries, and so their positive attitude has helped to excite the local people of Kawane Honcho and to make them feel more relaxed and more open to explore new things. So basically, the Kawane Honcho people, I think, are gradually opening up to embrace world music and art more than people of a lot of other areas in Japan. 

 

We didn't know anything about the attitude of the people here in the beginning. We just followed the natural guidance of connections. Especially my connection with my friends Mia and Miki. I think the reason why my friends trusted that this would be a good area for us is because they themselves have traveled and they themselves are more curious about other cultures, music and art. And they feel comfortable living here. Perhaps because they feel supported and appreciated here too. 




I have also started an African percussion workshop. I want to continue with that and I hope that more people will participate and enjoy such an activity. And also I hope to get some more students who would like to learn how to play Bansuri. I have several enthusiastic students now, but am always open to welcome more.  And I want to continue playing concerts. We've actually had a house/garden concert here three years in a row. We get many chairs from the community center and we put them in the garden. At each event we have had about 70 people come from the community and even from other areas to participate. And we perform from a terrace that I built that serves nicely as a stage. 

 

So really to answer one of your questions, which is, “why did you come to Kawane Honcho in the beginning?” Maybe I didn't know, but after I see all the people in the garden and feel the sense of community here and realize we are giving something that people value, then I understand that's why I came here! Sometimes the reason why things are happening the way that they are only makes sense later.

 

One of my motivations is that I want to show people who don't believe that they can live their dreams, that they actually can. You can be your natural self. You can discover what qualities you can offer to the community. And then, if you continue focusing on that and trusting that, you can excel. And you can be happy.

 

This is the lesson that I want to give, not by preaching or speaking, but just by being an example. You can be yourself because I'm being myself. You can be happy because I'm happy. You can discover your voice, your expression, your tool of service because I have.



 

※前回のインタビュー

風間竜多さん(両国吊り橋茶屋capra シェフ)

「町にできる限りの恩返しがしたい。自分の得意な料理でね

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