川根本町民インタビュー
【川根本町民インタビューvol.13】風間竜多さん(両国吊り橋茶屋capra シェフ)
「町にできる限りの恩返しがしたい。自分の得意な料理でね」
静岡県川根本町出身・2020年Uターン
「川根本町についにピザ屋が...」そんな囁きがあちこちで交わされていたとしてもおかしくはない。2023年の春のことだ。大井川鐡道の終点である千頭駅よりもさらに奥、ついに山が深くなりはじめる始点とでも言えそうな場所に、一軒ぽつんと、ピッツェリアがオープンした。私はその頃まだ川根にいなかったけれど、流行りからは隔てられ、昔からの名残りでやりくりしている田舎の町にとって、これはちょっとしたニュースだったに違いない。号外の一つや二つはばらまかれたかもしれない。ピザなんて、たまに某デリバリーピザチェーンの移動販売車がやってくる以外では手に入らなかったのだ。しかも街のほうでイタリアンの料理長も務めた人がつくるらしいとくれば、町民たちが(文字通り)食いついたとしても不思議はない。
移住者の私も例に漏れない。ひとりで寄ることもあるが、もっぱら町外から知り合いがやってきたときに連れていくことが多い。それはひとえに肝心のピッツァが素晴らしいからだ。マルゲリータやクワトロフォルマッジなどの王道も好きだが、絞るならマリナーラがいい。トマト・オレガノ・ガーリックだけから成る、原点としてのピッツァ。私はこの店で食べるまで知らなかった。そして初めて食べて美味しかった。生地そのものが美味しいのかもしれない。けっして敷居の高いお店ではない。ピッツァの味を(仮に、実験的に)抜きにしてみても、テイクアウトができること、温かみのある内装、すぐ横を流れる大井川とそこにかかる吊り橋が合わさって、親しみやすい、ひと息つけるお店をつくりあげている。
(写真はアンチョビマヨネーズピッツァ。これも美味しい)
そしてもちろん、この店のオーナーであり、シェフであり、ウェイターである風間竜多(かざま りゅうた)さんがいる。厨房の奥でピザ窯の小窓から焼き加減を確かめる姿から、カウンター越しに地元客や観光客と会話を交わす姿までが、優しく、落ち着いたトーンで、くり返されていく。インタビューに伺った日はたまたま、竜多さんと開業前から付き合いがあり、ロゴのデザインなどを仕上げてくれたという町内在住のイタリア人女性とその旦那さんが来店していた。その後には吊り橋を渡ってきた観光客のフランス人たちが(閉店時間をじゃっかん過ぎていたが)入ってきた。そのすべてを竜多さんはピザでもってあたたかく迎え、舌の肥えた彼女たちはそろって太鼓判を押して帰っていった。
川根のピッツェリア
― ちょっと怒涛の来客でしたね...。その上でインタビューまで、お時間ありがとうございます。
今日は確かにすごかったね。海外の人がやけに多かった。
― 川根には意外と国際的な瞬間がちらほらありますよね。海外からの観光客も多かったり。とくにこのお店はすぐそこに吊り橋もあるから。そしてピザっていうのが、なんか嬉しいんですよね。
やっぱり、こういう小さなお店で、席数もそこまで取れないってなったときに、クイックリーに出せるもの、テイクアウトもしやすいものっていうことで、ピザをやろうって思ったんだよね。
― 町民からはすっかり「ピザ屋さん」として親しまれている印象です。
ピザ屋、イタリア語で言えばピッツェリア。うちの場合はピッツェリア兼カフェになるのかな。カフェ利用もウェルカムだから。
― どういう経緯でここにお店を開くことになったんですか?
自分はもともと浜松で料理をやっていて。最初はホテルでフランス料理を3年くらい、そこからイタリアンレストランに移って8年くらい。レストランのほうでは料理長もやらせてもらっていた。
本当はそこのオーナーと一緒に新しくお店を立ち上げようという話があったんだけど、ちょうどコロナが始まっちゃって、無理だよねと。前の仕事はけっこう忙しかったし、いったん実家に帰ってちょっとゆっくりしますということで川根に帰ってきたんだよね。
そうしたらこっちで、宿を始めていたショウキチくん(ゲストハウスゆる宿Voketto オーナー)とかに出会って。もともと川根に住んでいた同級生たちも家を継いで自分の事業を始めたりしていた。それを見てたら、なんか俺も自分で出来るんじゃないかと思ってね。ちょうどいま店があるこの小屋が空いていて、声を掛けてもらったのもある。いつかは自分の店をとは考えていたから、始めることにした。
建物は自由にしていいってことだったから改装もして。ショウキチくんがDIYできるから頼んだり、さっきいたイタリア人のマミさんにロゴとかもデザインしてもらったり。ロゴにはヤギの絵を描いてもらった(※看板娘がヤギのユキちゃんなのです)けど、どことなくイタリアっぽさを感じるんだよね。
郷土と郷土のマリアージュ
― やっぱりイタリアンのお店をやりたいと思っていたんですか?
そうだね。フレンチもやっていたけどイタリアンの方が自分っぽいかなっていう。
― と言いますと?
フレンチは宮廷料理が大元にあって、フルコースで出すのが基本。イタリアンは家庭料理が大元にある。たどっていけば、それぞれが郷土料理に行きつくんだよね。だから土地ごとに全然違うし、いわゆるマンマの味。レシピもナチュラルで、庶民的なの。
ペスカトーレは漁師風ってことで、漁師が余った魚介を集めてトマトソースで煮込んだものが由来だし、カルボナーラは炭焼き職人風で、上にかける胡椒は当時パスタにかかってしまった炭を再現している。他にもプッカネスタは娼婦風とかいろいろあって。
― 料理の名前に、それを食べていた人たちのことが現われているんですね。そしてそこからそれぞれの土地柄もなんとなく透けて見える気もする。
そして、じつはそれぞれの料理に、その土地の伝統的なレシピに基づく規定もある。でも日本人って、けっこう適当にしちゃうから。カルボナーラだったら、本場ローマでは豚のホホ肉の塩漬けを使い、生クリームは使わないんだけど、日本人は生クリームを入れたりして改良しちゃうんだよね。
そういう大元のレシピは自分もひと通り勉強した。イタリアの郷土料理のレシピがまとまったかなり分厚い本があって、しかも全部イタリア語なんだけど、かつて教わったシェフに、その本を買って辞書引いて料理つくれ、って言われてね。それは数品しかやれていないんだけど、原型を知っておくのは大事なこと。
― 竜多さんが最近気になっているイタリアの地方料理はあるんですか?
南イタリアがめちゃめちゃ気になっている。うちのピザもナポリピッツァをイメージしているところはある。
でもこのお店で出すものは基本的にはやっぱり分かりやすくないといけないから、みんなが知っていそうなところを攻めているかな。その上で、たとえばいま夜は予約でディナーもやっているんだけど、コースの前菜に地方のコアな料理を1、2品入れるみたいなことはやっている。それこそ昨日は、ゼッポリーネという、ピザ生地に青のりを混ぜて揚げるナポリ地方の前菜を出した。しかもそこに川根本町の自然薯を混ぜたりもして。
― この土地ならではのレシピにアレンジしていくこともやるんですね。
そうそう、やっぱりせっかくこの町にいるなら地のものを使った料理にしたい。うちのお店のコンセプトには、川根本町×イタリアン、というものがあって。ただ伝統的なイタリア料理をつくるんじゃなくて、そこに川根本町ならではのお茶・自然薯・柚子、もっと広く静岡や日本ならではのものを加えてみたい。
いま考えているのは、マルゲリータにはこのお茶が合う、みたいな。ちょうどうちの奥さんが趣味で畑を借りてお茶を作っているから、協力して新しいイタリアンの形を提案してみたいなと思う。
人生はできるだけシンプルに
― そもそも料理の道に進むのはどういう流れだったんですか?
小さいころから親の手伝いでちょこちょこ料理をしていた子どもだった。親は自営業で家にいたから自炊していたってことでもないんだけど。
川高(※川根高校)で進路を提出するときに、釣りが一番の趣味だったから、第一志望に釣りの専門学校を書いたんだけど、そしたら担任が、こんなので食べていけんのか、って。いま思えば釣りも全然ありな選択肢だったとは思うんだけど、そのときは考え直して、第二志望に書いていた料理の専門学校に進むことにした。この町を一度は出たいと思っていたから必ずひとり暮らしになるし、料理の仕事だったら食いっぱぐれもないだろうなってことで。
専門学校には2年コースだけじゃなくて、1年コースがあって。調理師免許自体は1年で取れるんだよね。その後の1年を学校で興味ある分野に分かれて学ぶか、働きながら学ぶか。俺が思ったのは、卒業して早く現場に入っちゃった方がいいんじゃないかなと。
― その頃にはもう料理でやっていこうと決めていたんですね。
そうだね。専門学校にいた周りの人に触発されたのも大きい。でもなんていうか逆にそこまで深くは考えていなかったかな。自分のなかでいろんな選択肢があったわけじゃないから、もう料理と決めたなら料理をやろう、って。
自分の考えとしては、人生はできるだけシンプルに行きたい。そう思っていないと脱線して、いろいろ考えちゃうだろうから。選択肢を少なくする、広げない。生き方に関してはね。料理については、いろいろな選択肢が広がっているほうがいいけど。
― いろいろお話を伺っていると、竜多さんは、なんというか、いろいろ比較して検討してということよりも、周りにいい流れを生み、その流れに時を逃さず乗っていく、というのが上手い印象を受けます。
そういう意味では本当に人に恵まれているというか。仕事を辞めたタイミングでお店を始めないかと声をかけてもらえたり。もうこのスタイルでいいと思っている。ひとりで悩み過ぎても答えが出るとは限らないからね。それにいまこうしてお店を開いて、やりたいことが出来ているし。
そうだ、少し前、自分がなんでお店を開いたんだろうって考えた時期があって。もちろん生活があって稼がなくちゃいけないというのはある。でも、昔はそうでもなかったんだけど、なんだかんだ川根本町が好きなんだなって思ったの。やっぱり川根のこの大自然は誇るべきことだと。
だから町にできる限りの恩返しがしたい。自分の得意な料理でね。子どもの頃にお世話になったおじさんおばさんが食べに来てくれたら嬉しいし、今日みたいに観光客が来て、ピザ美味しいね、川根本町いいところだね、って思ってくれたら嬉しい。
― さっきのお客さん、営業時間は過ぎていたけど、竜多さんは全然ウェルカムという感じでしたよね。
変な話、閉店の6時をちょっと過ぎていてもピザを焼くことはあるし、オープンは11時だけど、明日10時に焼ける?と言われたら焼く。もちろん大変で出来ないときもあるけど、基本的にはそれで喜んでくれる人がいるなら全然いいかな。
川根の未来をつくる店
― お店のオープンから1年ほどが経ったわけですが、思い描いている今後の形などはありますか?
これまでなかなか行けなかったんだけど、じつは近々イタリアに行く。現地の友だちに案内してもらうから、いろいろ食べて学んでこようと思う。もちろん本場の味がそのまま日本でも美味しいとは限らないから、そこはいろいろと工夫しないといけないところだけどね。
でも本当に便利だなと思うんだけど、いまってYouTubeで一流イタリアンシェフのレシピや調理が観れちゃうんだよね。そんなところまで公開していいの!?というくらいに教えてくれる。あれを全部真剣に学ぶだけで、かなりいいものがつくれちゃう。
― 自分も昔、落合シェフとか奥田シェフとか、有名な方々のパスタ動画を真似してみたことがあります(笑)。ペペロンチーノとか。
あの動画はすごいよ。ちなみにペペロンチーノってじつはイタリアのレストランではあまり出されていないらしいんだよね。アーリオ・オーリオ・ペペロンチーノ、つまりニンニクとオリーブオイルと唐辛子だけしか使わないパスタだから、あくまでベースに過ぎないというか。それが日本ではひとつのメニューとして人気がある。
― パスタを茹でるときの塩加減についても奥田シェフがなんだか新しいことを言ってましたよね。
ゆで論、のことだよね。普通はパスタを茹でるときの塩分濃度は1%なんだけど、奥田シェフは2.5%で茹でる。本来ならそんなのしょっぱすぎるんだけど、茹でた後に真水でパスタをそそぐ。
― そうすればパスタがもちっとするんですか?
いや、奥田シェフが言っていたのは「ツルッ、プリッ、ポン!」。
― うーん、なるほど。
これはとっても革命的な理論なんだよね。彼は日本人で唯一ローマ法王に料理を提供するメンバーに選ばれてもいる。
実は奥田シェフは自分がモデルとしている一人。パスタについてというよりも、地方再生を目指してお店をやっているということに憧れていて。奥田シェフのお店はアル・ケッチャーノというんだけど、山形の田舎に一軒ぽつんとある。そこでは地元の農家とつながって、土地の食材を使ったりしている。県外からもたくさんお客さんがやってきて、土地のことを知って帰ってくれる。
自分の店を川根におけるそういう場所にできたら、と思う。川根はこれから放っておけば人口も減って衰退していく一方でしょ。その流れを上向きに変えていくことが仮にできないとしても、衰退の速さをゆっくりにすることはできるかもしれない。
― お話ありがとうございました。
――――――――――――――――
Contact
・両国吊り橋茶屋-capra- Instagram
――――――――――――――――
※店内の内装や、とくにメインとなるテーブルの製作には、ゆる宿Vokettoオーナーも関わっております。ぜひお店に行かれる際はそちらも合わせてお楽しみください。
(インタビュー・文・写真:佐伯康太)
※前回のインタビュー
宮嶋隆行さん(ときに米農家)
「毎日バタバタで大変だけど、そして何者でもないかもしれないけれど、生きているという感じがあります」
▶ 記事を読む