川根本町民インタビュー
【川根本町民インタビューvol.1】三髙菖吉さん(ゲストハウスゆる宿Vokettoオーナー)
「もう人生上がり。だからあと好きなことやろうってなる」
静岡県浜松市出身・2017年に移住
いまや廃駅と化しつつある青部駅から歩いて数分のところにゲストハウスゆる宿Voketto(以下、Voketto)はある。私がはじめて川根本町を訪れたときに泊まり、そして奇しくもこの町に移住してからはスタッフとして働いている場所だ。
三髙菖吉さん(以下、ショウキチさん)はそのVokettoのオーナーである。ショウキチさんのことを、彼をまだ見ぬ人にわかりやすく伝えるなら「中身が詰まっている」という表現が合っているように思う。まず、こんがりと焼けて健康的な張りをもった皮膚は、その下にしなやかな筋肉が詰まっていることを主張している。移住してきたころは細身だったというが、Vokettoとなる古民家の改修や屋外での農耕土木作業がその体を分厚くした。そして、きつく結いあげられた黒髪の下の頭のなかには、幅ひろい知識と生きていくための骨太の知恵が詰めこまれている。移住してからのものづくりの経験にくわえ、海外でバックパッカーをしたのちに本を読み漁った学生時代もまた、その博識を支えている。これらがそれはもうはちきれんばかりに詰まっている感じがするのである。まるで熱々のフライパンのうえのソーセージみたいに。とはいえその内圧は野放しというわけではなく、いくつかの方向へと冷静に収れんされている印象もまたあるわけだけれど。
インタビューは無垢の杉材の床が素足に心地よいVokettoのダイニングにて、ゲストが去り、次のゲストが来る前のお昼過ぎに行った。ショウキチさんはいつも通り、安物の半袖シャツに、安物のジーンズ(裁縫に長けた奥さんの手による無数のパッチワークつき)といういでたち。片手には自作した冷たいチャイ。素朴で平和なこの場所で、ショウキチさんは頭にあるいは心に詰めこまれているいくつかの想いを話してくれた。
最初、ゲストハウスは口実だった。
— あらためてなんですけど、Vokettoをつくることになった経緯を聞かせてください。
ゲストハウスをつくったのは成り行きなんだよね。
もともと昔からDIYして家を直してみたいなと思っていて。たまたま呼ばれた町の飲み会で、いい物件ないかって聞いたら、空き家になっていたここを紹介された。じっさいに見に行ったら、梁がめっちゃカッコいいなって。建坪で200平米弱、敷地全部合わせたら2,000平米くらいはあったかな。床もボロボロだし仏壇とかも置きっぱなしだったけど、劇的ビフォーアフターみたいなことをやりたかったから、家は汚ければ汚いほどいいって感じ。
で、時間は前後するんだけど、NPOの人から川根本町に宿が足りていないってことも聞いていてさ。この家を宿にするなら、DIYをする口実にもなるし、昔バックパッカーやっていたりもしたからゲストハウスなら出来るかもって思った。それにせっかく家を直すならお金が入ってくる形の方がいいしさ。
家をじっさいに借りたのは2018年12月30日。作業は正月から始めた。当時は川根にあるエナジーファームっていう会社で働いていたから、しばらくは並行しながら作業してさ。手伝いに来てくれた友だちと一緒に、外した板の上で鍋つつきながら、どういう風に進めるかとか相談してたな。
といっても最初はなんにも分からないから大工さんに入ってもらって、その動きを見ながらやり方を学んでさ。でもやり方覚えるなら自分で手を動かさないといけないってことで、大工さんが「あとは自分でやってみな、困ったら来るよ」って言ってくれて。
それで、図書室(ショウキチさんの私蔵本が2,500冊ほど詰め込まれている)の床とか天井は自分でやったし、本棚も自分で考えて作ってみた。リビングの石膏ボード貼りとパテ埋め、塗装あたりは友だちを呼んで自分たちでやった。
作業は地味だし、しかもキツかった。おかげでもうムッキムキよ。でも試行錯誤しながらうまく行く瞬間があると嬉しかったな。
交流をとりすぎるゲストハウス
― きっかけはDIYだったわけですけど、途中からどんなゲストハウスにしようかとかいろいろ考えるようになったわけですか?
それはむしろ最初からイメージがあった。海外でいろいろゲストハウスは泊まったりもしていたから。描いていたのは、ただ安く泊まれるってよりも、交流の要素を強く出したいなって。しかも宿の中で完結する交流じゃなくて、地元の人も混じった形にしたいなって。
この町のおもしろさは観光地としてじゃないところにあるんだよね。たしかにトーマスが走っていたり、温泉もあったりするけど、ワールドワイドに観光地に行きまくっていた身としては、川根は観光地じゃないなって。それでもこの町には惹かれるものがある。それは人なんだよね。この人変態か!、って人がたくさんいる。しかもそういう人たちに限って、自分たちがおもしろい存在だってことに素で気づいてないんだよね。彼らのことをもっと知ってもらいたくて。
でもその関わりが一度きりっていうのはもったいないなと思ってさ。それは前職で営業をやっていたから思うんだよね。もっとゆるくさ、数か月に一度でもいいから、また会って、最近どうなのって話せる関係になれたらいいなって。リピーターをつくりたいんだよね。継続的に来る流れをつくりたい。川根は継続的に来た方がおもしろい町だと思うから。
― これはスタッフとして働いたり、僕自身日本を旅していた身として思いますけど、こんなにオーナーが交流をとる宿は他になくないですか?
ない。
― ビビるくらい取りますよね。
ビビるくらい取る。
― たとえば三人組のお客さんが談笑していたら、ふつうに瓶ビール片手に四人目として加わりますよね。あれもともと四人組だったっけ、ってくらいの自然さで。宿というよりもショウキチさんちに来た感じもします。
うん、そういう感じだと思う。自分も参加者なんだよね。Vokettoという空間があって、自分はそこの提供者ってだけじゃなくて参加してもいる、っていうさ。
町にめぐらされたセーフティの網目
― ゲストと町民との交流の先に何が生まれると考えているんですか?
最終的には、人と人がつながって、安心感のある場所になれたらいいな。セーフティネット、みたいなね。
― セーフティネットというと?
たとえば東京でそれなりに裕福に暮らしていて、そういう暮らし方しかないと思い込んでいる人がいたとしてさ。その人がなにかに挑戦して、でも失敗してお金が無くなっちゃったら、絶望してもう死ぬしかないと思ってしまうかもしれないよね。
でも仮に、ここに来れば飯も食えるし寝るところもあって生きていくのには最低限困らない、っていう場所がどこかにあると知っていたら、いったんゼロになっても大丈夫だと思って挑戦のハードルが下がるよね。そういう場所をオプションとしてもっているだけで、なにかに挑戦するときに、背水の陣としてではなく、安心感があると思う。
ゲストハウスをやるうえでの理念として、ここに来たら死ぬことはない、と思える場所としての精神的なセーフティネットをつくりたいというのがあってさ。人と人がつながっていることによる、ソフトとしてのセーフティネット。うちに来て手伝ってくれたらご飯くらい出すよ、とか、そのスキルがあるならあそこに紹介するよ、とか。ゲストハウスはそのセーフティネットの窓口みたいなものになればなって思う。
― ということはセーフティネット自体は川根本町という町に張りめぐらされているってことですか?
そう。例えば、ネットには上がってないけど、五月はお茶摘みの時期だから茶工場でバイトを募集している。それを知っていれば、五月に会社を辞めても、川根に来れば1か月は行けるなって思える。
ほかにも夏は夏で、秋は秋で、いろんな仕事がある。田舎だから季節によって仕事も変わるんだよね。きっと俺がまだ知らない仕事もある。そういうのを拾っていくと、これまでは点で持っていた情報がつながって、結構たくさんの人を受け入れられるようになるんじゃないかなって気がする。
そうなるためにも、ゲストハウスのお客さんとたまたま来た町民とが話して気が合って、つながることができたら、網の目は広がっていくはず。つながっているから生まれる価値っていうのがあると思う。そういうのって金の経済は回ってないんだけど、なにかが循環している気がして、いいなって思うんだよね。
― 交流の多いゲストハウスにしたいというのは、そういう背景なんですね。
そう。ビジネス的に回ってないじゃんって言われるかもしれないけど、俺がやりたいのは単一のゲストハウスビジネスで成り立たせることじゃないから。もっと先の、5年後10年後を考えて、安心できるネットワークをつくりたい。それを提供するだけじゃなくて、自分もそのネットワークに参加していたい。
― 自分も。
そう自分も。ある意味、俺が一番恩恵受けてるよ。今日チェックアウトしたお客さんからも「すごい楽しそうですね」って言われたんだけど、そりゃ楽しいよね。ゲストハウスでいろんな人に会えば会うほど、自分の安定感も増すからさ。会計処理で分からないことがあるときは、リピーターの会計士さんに頼んだりとかね。
かりにゲストハウスの仕事がなくなっても、つながっている人の中に人手に困っている会社があれば、最悪転職もできるかもしれない。しばらく働かせてくださいって行ける場所をもっているから、自分もいろいろ攻めたことができるっていう。これからやろうとしているシェアハウス(「村をつくるシェアハウスVoketto Village」。2023年9月に上岸地区にてオープン予定)もまさにその挑戦のひとつでさ。
どこでも生きられるという究極の安心感
― ゲストハウスに次いでシェアハウスをつくるのは、なにか関連しているわけですか。
ゲストハウスは、川根に来た人にここにセーフティネットがあるってことを知ってもらったり、つながることでその網を広げたりするための窓口。
で、じっさいに川根に来てみると本当にいろんな仕事とか作業がある。農業や土木もそうだし、草を刈ったり薪を割ったりとかも。それを1年2年とやっていくと、できることが日に日に増えていくし、自然と向かい合うからこそ分かることもある。自分では普通のことをやっているつもりでも、いろんなことができる人になる。生活とちゃんと向き合っているだけなのに、どこに行っても通用するスキルとかメンタルが手に入るんだよね。そうすれば、どこでもやっていけるようになると思う。それはまさに自分もそうだった。川根に来て身につけてほしいのはそういったことだね。
― どこでも生きていけるという感覚は、ある意味究極の安心感につながるのかもしれませんね。
そう。だから、そう思えたらもうやることないだよ。もう人生上がり。だからあと好きなことやろうってなる。
帰る場所があるからこそのケセラセラ
― ショウキチさんがそこまでセーフティということにこだわるのはなぜですか?
けっきょく、自分が安心したいだよね。もともと心配性なタイプだから。じいちゃんが校長だったり、親が公務員だったり、兄ちゃんも学級委員長をやってたりとかさ。三髙家の三男、っていう肩書きで見られるわけだよね。その役割を自分はちゃんとこなせてないんじゃないかって不安な時期があって。それで、中学では生徒会長もやったし、野球部の部長もやった。本当はそういうのからはみ出したいけどはみ出せない、それが嫌で。
― ある種の優等生的な良心があったんですね。いまのショウキチさんからはあまり窺えませんけど。
高校が校則のない自由なところだったこともあって、ルールは自分で決められるんだって気づいたんだよね。それに大学でスペインのフラメンコギターに出会って、ラテン系の人たちの気質を知って。彼らは金がないのに飲みに行くのとか普通なんだよね。スペイン語で”que será, será”っていう良い言葉があってさ。明日は明日の風が吹く、みたいな。そういう感覚いいなって。その日を頑張って生きている、みたいなさ。
大学を出るころにはもう周りの目とかは気にしてなくて、ギターで食っていくつもりでいた。けっきょくはいろいろあってやめたけど、ふつうに働くのとは別のかたちで生きていけないかなって模索はしていた。
― 大学生のころに海外でバックパッカーをしたことも大きかったわけですか?
海外行く前は別の生き方があるんじゃないかと漠然と思っていただけだったけど、旅のあいだにそれが確信に変わった。その日暮らしだけど幸せそうなスペイン人は本当にいたし、生活保護を受けながらトルコを旅している日本人の姉ちゃんもいたし。だから、要らないプライドさえなければさ。
でもあらためて自分がなんで海外行って自由な生活を送ることができたかといったら、けっきょく日本という帰る場所があったからでさ。浜松に実家があって、親がいて、友だちがいて。そういう帰る場所があるから挑戦しようって思えた。金なくなったら最悪実家に帰れば、寝るところはあるし、ご飯も出るはずだからさ。これは自分恵まれているんだな、って思って。
いちども会社で働いたことがないのは不安だったから就活して新卒で数年間働いてみたけど、そのころにはもう、いずれは自分をふくめた誰かの帰れる場所としてセーフティネットのようなものをつくりたいと思っていたかな。
― そして、その舞台が川根本町であり、Vokettoだったわけですね。
そう。それも成り行きなんだけどね。
― しばらくは川根でやっていくわけですか?どこでも生きていける気がするとはいえ。
そうだね。
― それはどうして?
おもしろいからだね。
― 単純に。
うん。けっきょく時間を何に使うかってトレードオフなわけだからさ。
これからは、窓口としてのゲストハウスだけじゃなくて、実践の場としてのシェアハウスをつくったり、ほかにも自分が川根の外に出てこの場所を紹介していきたい。川根のネットワークと別の地域のネットワークがつながれば、もっと大きなセーフティネットになって、そうなると全体としてもっと生きやすい世の中になるんじゃないかな。
― 本日はお話ありがとうございました。
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(インタビュー・文・写真:佐伯康太)