川根本町民インタビュー
【川根本町民インタビューvol.7】橋本立生さん(川根たっちゃん農園・川根香味園)
「この町が好きなんだよね。だからとにかく自分が食っていける形を示そうと思った」
静岡県川根本町出身・2016-2017年を除き町内在住
橋本立生(タツオ)さんは川根本町の茶農家である。川根本町といえばお茶の一大産地であり、いつかは茶農家の方も取りあげたいと思っていたが、その最初が立生さんとなったのは、初めてお会いしたときに彼が実演してくれたお茶の淹れ方にある。
その場所には肝心の急須がなかった。然るべき茶器一式も当然なかった。あるのはステンレスのやかんと湯呑みと茶こしだけだった。もちろんそれだけあればお茶は淹れられる。しかし本職の茶農家が、自ら育てた茶葉を、間に合わせの道具だけで、ちょっと失敗したりなんかしても笑って、まったく構うことなくお茶を淹れ、しまいには「お茶って自由でいいんだよ」と気さくに告げたとき、僕はこの人に話を聞いてみたいと思った。伝統産業の茶農家には厳しくて気取っているイメージを抱いていたから。アドリブで淹れたそのお茶は出汁のようなコクと川根茶の特徴である豊かな香りがあり、美味しかった。でもこれは立生さんの誠実さと誇りによるものだと思うが、本来もっと美味しいお茶にできることと、そのための手順を最後に伝えることを忘れなかった。
日本のお茶業界の一般的な傾向として、兼業化・高齢化・抹茶化が挙げられる。抹茶化といったのは、煎茶と比べて抹茶の需要が世界で拡大しており、抹茶の生産に切り替える農家が多いということである。立生さんはそのいずれとも方向を逆としている。専業農家で、39歳と若く、伝統的な川根茶を育てることにこだわっている。「たっちゃん農園」という自らの屋号をもつ個人農家である一方で、川根香味園という地元の製茶会社で働き、茶工場を一任されている。力点はむしろ香味園の方にあると語る。それはひとえに生まれ育った川根本町への愛情に由来している。
※なおインタビューを行ったのが12月で茶の農閑期ということもあり、何枚かの写真は冬をしのぐ自然薯農家としての立生さんである。貴重な瞬間ということでご了承ください。
役場を辞めて、茶農家へ
― 茶農家を始めるきっかけは何だったんですか?
もともとは役場にいて、定年までそこにいるんだろうなと思って働いていました。最後は農林課、当時の産業課にいて、品評会に出す茶農家の支援とかをしていたんだけど、そのときに、この町のお茶の達人たちと出会ったんです。
彼らがつくったお茶を飲んで衝撃を受けた。自分が小さいころから飲んできたお茶とまったく違うものをつくっていたので。そこからお茶に対して興味をもち始めた。それが20代後半のころ。
― 川根の人はふだんから川根茶を飲んでいるわけではないんですか?
ふだんも川根茶だよ。でもうちのところは兼業農家で、あくまで自分の家で飲む分のお茶だけをつくっていた。
― あ、なるほど。茶畑をもっている家は多いですもんね。
でも兼業で適当にやっている人のお茶と、賞をとるようなお茶とでは、ぜんぜん違くて。
― あえて表現すればどんな感じだったんですか?
お茶じゃないと思った。旨味と香りが凄かったんだよ。いままで味わったことのない余韻で、飲んでもずっと自分の中にいるような。
― たしかに出汁のようなコクがありますよね。
でもそれだけじゃ役場を辞めてってことにはならないんだけど。
最後の年に、公務員のくせに休みがなくて、頭がおかしくなっちゃって。休まざるを得なくなって、あてもなく辞めたんだよ。そのあとで静岡市に働きに出ていた期間が1年あって。ここの町から1回離れて見つめ直そうと。
そのときに、産業課のときに知り合った茶工場の代表、といってももともと同級生のお父さんなんだけど、その人から、お前1回戻ってきてお茶をやらないか、と声をかけてもらった。自分がお茶づくりに興味あることを知ってくれていたから。それにその家はみんな女の子で、継ぐ人もいなかった。
― では、後を継がないかと?
のちのち任せたいという形で。だもんで、適当にやるとかではなくて、茶工場をなんとかしていくという意志でこの世界に入ったので。腹くくってやりはじめた。役場辞めたら生きていけないと思っていた人間が、辞めても普通になんやかんや生きていけはしていたから、だったらお茶を一回やってみようかなって思えたんだよね。
同級生はみんな町を出ていった
― そもそもなんですけど、川根で生まれ育ったからといって、お茶をやろうと思うものではないんですか?
思わないですね。自分の親世代はお茶をやっている人って多かったんだけど、ここ十数年で儲からなくなってきて、継がせたくないっていう人がほとんど。俺の場合は、おじいさんがお茶を一生懸命やっていたんだけど、親父はまったくやる気がなかった。お茶に限らず、農業をしようとした人は同級生にひとりもいなかったな。
お茶をやっている人も基本的には土日百姓で、平日は他の仕事をしている人ばっかり。土木やったりね。専業農家なんて、産業課で働くまで見たことがなかった。
― でも立生さんは専業の茶農家ですよね。もともと専業になるつもりだったんですか?
役場にいる頃から、この町の農家が減っていくのは専業農家がいないからだ、という自分なりの考えがあって。兼業農家が多いということはつまり、農業だけでは稼げない仕組みだからであって、農業だけで食べていける人がいれば、農業がもっと魅力的に映って、農家に就く人も増えるんじゃないかなって。
結局、この町の人が減っていくっていう現状が嫌でさ。基本的にこの町が好きなんだよ。自分をここまで育ててくれた町だから。
みんな出て行っちゃう。仕事がないから。仕事をすることになっても、役場か、ケ―ブルテクニカ(町内にある自動車用センサーなどの部品製造工場)の2択くらいだもんでね。淋しいよ。でもこの地域では、そっちのほうが普通なのかなと思う。
どうやったら人が残るんだろうと考えたときに、こんなに茶畑がたくさんあるのに、活用されていないじゃんと思って。お茶の仕事をつくれば人が増えるかもしれない。だからとにかく自分が食っていける形を示そうと思った。
- なるほど。そのやり方は最初から見えていた?
見えていない。だから最初は兼業で林業をやっていたんだけどね。
― お茶だけでは食べていけないのは、農閑期があるからなんですか?
べつにお茶だけでも食っていけるには食っていける。自分で育てて自分で売る、つまり自園自製自販をすることにすれば、農家と茶商を自分ひとりでやることになるもんで。
でもお茶を売るって想像以上に大変で。自分もお客さんが十分に付いているとは言えない。だから、ぽっと出のお客さんゼロのときはとにかく現金収入が欲しいというのがあって。
それにどうしても冬は暇なんだよね。
― 農閑期は何を育てているんですか?
最近はおもに自然薯だね。
― 利益がいいんですか?
かなりいい。組合が値段決めていて、最低でもその値段で売れるんで。しかもお客さんのリピート率が9割を超えている。お茶より全然金になる。
でも、お茶以外の野菜って、それらは品種で味がだいたい一緒なんだよ。でもお茶って同じ品種でもつくり手が違うと味が全然違う。畑で育てるだけじゃなくて二次加工があるから。
― いわゆる製茶ですか。
そう。
川根のお茶の特徴って香りなんですよ。旨味が強いだけのお茶って他でもつくれるんで。香りを残そうとすると旨味は消えて、旨味を強くすると香りが飛ぶんですよ。なんだけどそこをちょうどいい具合にする。香りも旨味も強い、それが自分のお茶の特徴なんで。
もちろん原葉がすべてなんだけど、茶揉みの設定一つで100が0にもなるし。ただ人が変わるだけで出来も変わる。だもんでお茶を揉むのがおもしろい。
茶揉みがおもしろい
― 具体的に茶揉みはどうやるんでしょうか?いまは全部機械化されていると思うんですが。
機械の風量、温度、回転速度とかを調整していく。それを手の感覚で上げたり下げたり、まめな設定をしていくんだけどね。外気温とか湿度を加味して、調整して。一日のなかでも変える。葉っぱによっても変えるね。
個人でやっている人は規模が小さいし、自分のお茶を揉んでいるだけだから、そんなに動かなくてもできる。でも共同工場だといろんな葉っぱが混ざってくるもんで、自分のを揉んだ後に違う畑のが来て、というのが繰り返される。
― 何個くらい機械があるんですか?
おおまかに、蒸し器、葉打ち機、粗揉機、揉捻機、中揉機、精揉機、乾燥機の最低6個。常に全部に茶葉が入っている。とにかくお茶をずっと触ってみていなければいけない。
― 葉も違い、天候も違い、機械も複数ある。変数がめちゃくちゃ多いですね。
いまは自分の茶を育てるだけじゃなくて、香味園の茶工場をひとりで任せてもらっていて。普通は茶工場の中で機械ごとに担当部署があって、各自がその機械の前で席に座っているんだけど、自分はそれをひとりでやっている。2、3年目のころに社長が、お前やれって言ってきたんだよ。自慢だけど、お茶揉むのうまいんで。自分が茶工場でやるようになってから茶工場の収入は落ちなくなった。
でもほとんどの人はそこまで細かく調整をやらないんだよ。この設定で今日は行くってずっと流していくだけなんだけど。でも俺はそれが嫌で。やっぱり変わっていくもんで、生き物みたいなもんで。それが楽しい。
― マメなんですね。
楽しいんだけど、でもめちゃめちゃしんどい。お茶揉んでいるときって茶工場の中を一日で18時間から20時間、だいたい4万歩は歩くんだよ。
― 4万歩...
おかしくなる、ほんとに。それがピ―クのゴ―ルデンウィ―クのときは寝ずに何日も続くからね。ときどき仮眠を取りに家に帰るだけ。
― 誰でもできるわけではないような。
ポイント掴めばできるんだろうけど、そこまでの熱があるかってことだよね。
伝統の川根茶をつくり、地元を守る
― 個人の屋号も持ちつつ、香味園の共同茶工場でも働いているんですよね?
そう。自分のところに、茶畑を管理してくれないかという話がけっこう来るんだけど、それを自分の畑にするか、茶工場の管理にするかを決めている。いまは自分の畑が1町歩(約10,000平方メートル)で、香味園の管理は3町歩(約30,000平方メートル)。茶工場のほうの面積を大きくしたり、条件がいい畑をわざと工場につけるようにしている。本来の川根茶を量産して、地域の畑を守っていくにはそれがいいと思うんで。
― 香味園の方では地域の畑を守るという、自分なりのお茶づくりとはまた別の目的があるんですね。
香味園って有限会社なんだよ。自分が次の代表だから、将来的にはちゃんと社員を募集して、会社としてやっていきたい。
― そうしたら川根で育った人の勤め先が増えますね。
茶工場のキャパ的にも6人くらいは雇えれば嬉しい。小売りをすることになれば、そこから派生する仕事も出てくる。
反対に個人の方は畑の面積を抑えて、こだわりをもってやりたい。
― こだわりというのは?
昔ながらの、薫り高いお茶をつくりたい。
― かつて衝撃を受けたという。
多くの茶農家さんが、売れるお茶、抹茶とかに流れていくんだけど、でも川根でやることじゃないんですよ。そもそも日照量の関係で、生産量が九州の方には勝てないんで。川根は量では勝負できない。そもそもそこを土俵にしちゃダメ。なのにみんな抹茶とかに走っちゃう。
別に売れれば何でもいいんだったらそもそも俺お茶をやっていないし。そこを変えるくらいだったら、儲かる作物は他にもあるわけだから。なんのためにお茶をやるかといったら、自分がつくりたいお茶があるからでさ。
― 最後にこれからの展望を伺いたいです。
自分の販路は二の次にして、香味園をちゃんとした会社にしていくっていうのが優先だね。自分は販路が伸びなくても、香味園の収入も入るし、他の作物もつくっているから、どうにかなる。自分自分っていうよりは会社をどうにかしたいっていうのが第一かな。
たっちゃん農園を手放すつもりはないけどね。自分でつくったものって可愛くて。でも自分だけが良くても地域には還元されないからね。
― そういえば、立生さんのお茶はどこで飲めるんですか?今度はちゃんと急須で淹れていただきたいなと思うんですけど。
月に1回は島田まで降りて無料で試飲を出しているけど、それ以外はないね。だから家に押しかけてもらうしかない。事前連絡して来てもらえれば、お茶を出すよ。
― そこも変わらずフリースタイルなんですね。
キチキチしすぎると入り口を狭めちゃうからね。自分は自由に、気取らないっていうのがモットーなので。
― 応援しています。お話ありがとうございました。
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(インタビュー・文・写真:佐伯康太)
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