川根本町民インタビュー
【川根本町民インタビューvol.5】板谷信吾さん(デイサービスみずかわ施設長 )
「自分がなりたい姿のために頑張るのも自分らしさに入ってくると思うんだよね」
静岡県川根本町出身・2019年にUターン
ほとんどの中山間地域がそうであるように、川根本町もまた全国平均をはるかに上回る高齢化率を記録している。なにしろ、還暦を超えても、古希を迎えても、「若い衆」と呼ばれる世界である。わたしなどは二十代だが、そのことを知った町のおじいさんおばあさんは、どよめき、あるいはきょとんとする。ものめずらしい生き物でも発見したみたいに。でもたいていはすぐに態勢を立て直し、虫取り網をあちこちに振りまわす少年のごとき勢いで喋りはじめる。川根の老人たちは総じて、とっても元気だ。すくなくとも、わたしの見るかぎりにおいては。
その町で、板谷信吾さんは「デイサービスみずかわ」というリハビリに特化したデイサービスを経営・運営している。立ち上げたのは3年前、令和2年の1月。理学療法士として、地元である川根にUターンしたころのことだ。施設長の信吾さんのもと、数名の正社員とパートさんが、総勢50名ほどの利用者さんと日々接している。利用者の定員は一日10名で、運動や食事をする。屋内にはレッドコードと呼ばれる天井からつるされた赤いロープ状のリハビリ器具や各種のトレーニングマシンが設置されている。ただし何をするのかは基本的には個々に委ねられている。それは比較的小さい規模の施設であることもさることながら、信吾さんの信念に依るところが大きい。
今回インタビューにあたって施設を見学させていただいた。意外だったのは”施設”感があまりないことだった。それは第一に、建物が一般的な日本家屋だったからだ。外観は周りの民家と変わらず、上がり框を跨いで中に入れば、かつてを偲ばせる欄間彫刻や塗り壁がそのまま残っていた。その日の利用者は女性がほとんどだったが、運動をしながら、他愛なく無邪気なお喋りが続けられた。信吾さんがその輪に加わることもしばしばあった。そこには家庭的な雰囲気すらあった。でももちろんそれだけではない。ふと気づくと信吾さんは奥の部屋の衝立の向こうで、ひとりの女性の膝のリハビリに応じていた。その真剣な手つきは、彼女の膝に触れ、そして膝なくしてはありえない彼女の生活に触れようとしていた。
滋賀の地域医療で感じたギャップ
- なぜデイサービスの事業を始めることになったんですか?
もともと理学療法士をしていてね。バスケをしていて運動が好きだったから、進路を考えるときに身体に関わる仕事がしたいなと探していたら、見つけて。あと兄貴も理学療法士の専門学校に通っていたのもあって。
理学療法士は病院でケガや病気をした人のリハビリテーションをするのが主なもんで、大学を卒業してからは、静岡の県立総合病院に勤めたかな。
県総で3年くらい働いていた頃に、嫁さんのお父さんが病気になって、手助けできることがあればしたいなと、嫁さんの実家がある滋賀に引っ越すことになったんだよ。で、滋賀に5年くらい住んでいた。仕事は、いつか自分で独立したいという思いがあったもんで、理学療法士の資格を持っている人がつくった会社を探して、そこに入ったんだよ。
理学療法士の人が開業するときって、訪問看護ステーションを設立してそこから訪問リハビリに行くパターンか、デイサービスを開設するパターンのどちらかになるんだよ。でも僕が入った会社は、訪問看護ステーションとデイサービスをそれぞれ何カ所かもっている会社だった。訪問リハとデイサービスの両方を経験させてもらったっけね。
病院時代は自分と患者さんと一対一でリハビリしていくじゃん。それはすごい大事で、理学療法士の専門的な知識をもってリハビリしていくことで身体が良くなるっていうのもあるんだけどさ。でも訪問リハビリとかデイサービスのリハビリでは、ちょっとフェーズが違ったんだよ。
- 違いというと?
僕が感じた大きく違うところは、訪問とかデイサービス、つまり地域医療の分野では、一対一だけじゃなくて、他の職種の人といかに連携してその人の生活を組み立てていくかというのがすごい大事になってきたりするんだよ。
たとえばケアマネージャーさんという、利用者さんの介護サービス全体を組み立てるような人とか、福祉用具屋さんといって、利用者さんの自宅の中の手すりとか歩行器をレンタルする人とか。病院のときは、病棟の看護師さんと情報共有したりはするけど、病院外にまで連絡することはまずなくて。訪問リハを始めたときは、ほぼ毎日のようにケアマネさんとか、他の事業所の人にまで電話していて、それなしには仕事できないなと思うくらいだった。
うまく連携を取って利用者さんにアプローチしたときの効果ってすごい大きくて。身体だけじゃなくて、利用者さんの生活全体がよくなっていく感じがあったんだよ。地域リハビリってすごいいいなと思った。
- 生活全体ですか。
そう。病院だと機能回復がメインになってくるんだよね。生活全体を見るよりも、病気やケガになった部位がメインになってくる。たとえば膝の人工関節を入れる手術をしたとしたら、メインは膝の関節機能を見る。
でもリハビリテーションの目的ってさ、その人の生活をその人にとって充実したものにすることだよね。膝関節の機能がいくら回復したところでさ、その人の生活全体がその人の望むものに近づかなかったらさ、意味ないとまではいわないけど、ちょっと遠回りな感じがするじゃん。それよりも、身体機能の知識を織り込みながら、生活全体を見ていくほうが、リハビリテーションの目的をよりダイレクトに達成できる気がするな。
おしゃれ好きのヨシカズさん
- どなたか印象的な利用者さんはいましたか?
いたよ。滋賀にいたころですごい覚えているのはね、訪問リハで関わっていたおじいさんで。食事も全然食べられなくなっちゃって、寝たきりになっちゃっていたんだよ。その人にたいして僕は、もちろん筋力増強訓練とか関節の可動域訓練とかのリハビリもしたんだけど、それよりもっと効果が明確に出たのが主に二つあって。食事と着替えだったんだよ。
- 着替えですか?
そう。その人は朝から晩までパジャマで過ごしていたんだよ。だからリハビリのときはまず着替えて、パジャマじゃない服でするようにして。
そしたら、その人はもともとおしゃれ好きだった人みたいで、昔買った良い服を引っぱり出して着るようになってきてさ。そうしたら家に閉じこもりきりだったのが、外に連れ出せたんだよ。お気に入りの服でキマっているときの写真をパシャッと撮ったりして。そういうときとか決めポーズ取るんだよ。ずっと暗い顔だったのが、だんだん表情が明るくなっていった。
あと栄養状態がすごく悪かったもんで、そこはケアマネさんから主治医さんに連携取ってもらって、栄養補助食品を出してもらうようにして。
栄養も入るようになり、服も着替えることで、だんだん気持ちが前向きになって、僕が行かないときでも奥さんと二人で着替えて外を散歩するようになった。うちの次男坊が生まれるときにはさ、地元の神社まで一緒に来て安産祈願のお祈りをしてくれてさ。たしかその次の日とかに生まれたっけかな。
病院みたいに関節運動とか筋力訓練とかだけやっていても、こうはならなかったと思うんだよ。服を着替えて、栄養指導をしてもらったからこそであって。それが印象に残っているな。
- ではそのおじいさんはそれから元気に回復して。
いや、その人はまもなく容体が急変して亡くなっちゃったんだけどね。淋しかったな、ヨシカズさん。まだ70代後半だったんじゃないかな。
でも亡くなる直前もさ、ベッドでずっと寝たきりのまま衰弱していったんじゃなくて、おしゃれに着替えて外を歩いたりしていてさ。余生を、暗い顔のまま過ごすよりも、よっぽど実のある人生だったと思うんだよ。
自分らしさの在り処について
- ヨシカズさんの話を聞くと、病気の本当の原因は身体的なところだけにあるわけではないのかもしれないなと考えてしまいますね。
人って歳をとると、だんだんやる気って起きなくなってくるじゃんね。一回病気しちゃって、服も着替えずベッドで寝ていると、そこから動き出すのって自分ひとりじゃできなかったりするもんね。
- やっぱり目標があって、それに向かって頑張るべきというか。
そうだね。だから服を着替えて外で写真を撮るというのも事前に設定しておいてさ。
- なるほど。利用者さんの目標を意図的につくってあげることも多いんですか?
利用者さんとの会話の中で、これは目標として設定できるなというものがあればね。たとえば、ここの利用者さんで言えば、昔グランドゴルフをやっていたけど、出来なくなって家に閉じこもりきりになっちゃった人がいたんだよ。だからグランドゴルフを再開しましょうという目標をつくって、しょっちゅう一緒にその練習をするようにしてさ。もちろんリハビリで身体の機能も一緒に鍛えて。いまは再開して、もうここを出ていったよ。
- 介護関係の仕事をされている信吾さんとしては、人生の進め方や終え方についてこうありたいなという形はなにかあるんですか?
死ぬときでも、誰かに何か強制されまくったりして死にたくはないよね。自分らしく過ごして死にたい。
でも同時に、利用者さんを見ていて素敵だなと思うのは、誰かのために動いたりするような人って長く元気でいるんだよ。自分のことだけ考えているんじゃなくて、周りのことを考えているような歳の取り方したいなぁって思うよね。もちろん無理にではなくて、自主的に。
- 与えて与えられる中で生きがいが生じてくるというのはありますよね。
うん、自分のなかだけで完結しようとすると、だんだん孤立しちゃうからね。自分らしさって言うけど、それって自分だけだと分かんないよね。集団の中にいての自分だもんでね。自分らしさってことはさ、自分ひとりじゃ、らしさもなにもないじゃん。集団の中で存在していて、自分がより楽に居られるような状態で人と接することのなかに、自分らしさがあるんじゃないかな。僕は利用者さんが自分らしく過ごせる場所を作りたいと思う。
それに、自分らしくいられる場所と言っても、ただ何しててもいいよと言われて、一日だらーっと過ごしている姿が自分らしいかといえばそうではないじゃない。自分がなりたい姿のために頑張るのも自分らしさに入ってくると思うんだよね。
川根出身というアイデンティティ
- そして滋賀から川根に移ってくるわけですよね。
そうだね。自分で開業するなら地元がいいなと思って、川根に戻ってきた。
- 板谷家はずっと川根なんですか?
そうだね。親父もおかあもずっと川根本町内だからね。
- いずれ戻ってきたいという思いがあったんですか?
それは社会人になってからかな。
当時、川根本町には、デイサービスはあったんだけど、理学療法士が在籍しているような場所が一個もなかったもんで。もちろんどのデイサービスでも体操とかはするんだけど、より専門的なリハビリテーションを受けることができないような状態だったんだよね。
- ちなみに、理学療法士だからできるリハビリというのは例えばどういうものなんでしょうか?
僕らは理学療法士で、利用者さんの身体の機能、筋肉や骨や疾患のことを学んできているから、その疾患に特化した運動や生活指導をリハビリに取りこめる。たとえばパーキンソン病(脳の異常のために、身体の動きに障害が現れる病気)の人がいたら、体幹の可動域が狭くなりやすかったり、腿裏の筋肉が短縮しやすいから、そこを延ばすような体操をするといいですよとか。自宅の環境についても、急な方向転換があると転びやすいから、そうならないベッドの配置がいいですよとか。
- なるほど。
あと自分のアイデンティティを考えたときに、川根本町出身っていうのはずっと大きかったんだよね。高校から島田に出たというのも関係あるかもしれない。友だちに川根本町の田舎自慢みたいな話もよくしていて。
うちは家族も仲良かったし、連れも仲いいのが多くてさ。楽しい思い出がいっぱいなんだよね。高校生のころ、お祭りの日の夜に、朝まで川辺で野宿してずっと話してたりとかさ。そういうのが地元にたくさん詰まっているもんでさ。
デイサービスみずかわの日常
- デイサービスみずかわを立ち上げて3年ですよね。
最近はだいぶ落ち着いてきたよ。自分のやりたいようにやれるようになってきたかな。
昨日は長島ダムに行ってきた。夏は千頭駅にソフトクリームを食べに行ったり。川根温泉の横にある村の市までみんなで買い物に行ったり。やっぱり、ちょくちょく外に出かけたりしたいなと思ってね。好評だよ、お出かけはやっぱり。昨日の長島ダムも、利用者さんが行きたいって言ったもんで、ほいじゃ行くかって。
- そんな自由なんですね。
個人でやっているからね、俺の裁量で決めれるから。
しかも昨日は、利用者さんの一人が長島ダムの工事の現場責任者だったから、ダムの解説付きだったよ。その人、すごい活き活きしていたな。
女性の利用者さんだと、お買い物が大人気。ふだんぼーっとしている人でも、買い物に行くと、カゴに入れてあっち行ったりこっち行ったり。
あと畑仕事もいいよね。この辺の人たちは、全員もれなく畑仕事をしてきているからさ。土に触ると活き活きするみたいなのはあると思うよ。家では、畑は危ないからやっちゃダメと言われているかもしれないけど、ここで介護スタッフに見守られながらならできる。敷地内に小さい畑があるからね。
- 施設内を見学させていただいたとき思いましたけど、利用者さんとのコミュニケーションは、信吾さん自身がとても優しそうで、リラックスしている印象も受けました。
そうだね。楽しいよ。利用者さんと関わって話していて、楽しい。自分がつくった場所で、利用者さんたちが誰かと関わりながら一緒に笑えるような空間・時間をつくれているのは嬉しいなとすごく感じる。
- 最後に、今後の展望をお伺いしたいです。
デイサービスみずかわを、川根に根付いた、確たるものにしたいよね。いまは俺がいないと、質は保てないと思う。理学療法士の資格を持っているのも僕だけだし。でも、個に依存しちゃうともろいじゃん。自分が病気で休まなきゃいけないとなったら一気に成り立たなくなっちゃうからさ。連携して効果を高めていくことを、ここでも形にしていきたいんだよね。
- お話しありがとうございました。
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(インタビュー・文・写真:佐伯康太)
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